勘 |
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僕が今こうやってここにいるのも、ただ単に「死ぬための理由が見つからない」からなんだ。
人は皆いつか死ぬ。
死からは誰も逃れられない。
ならばその「無」と「死」(あるいは再び「無」)の間を埋める「生」とは一体なんなのか?
かつての僕は、常日頃そんなことばかりを考えてきた。
でも、あるとき気付いた。
考えることそのものが「生」であると。
何度も死に損なった僕は今、ただただ惰性で生きている。
思考はとうに停止している。
面倒になったら、すべてを投げて放り出すまでだ。
こんな馬鹿げた思想をまだ若かった頃、当時付き合っていた女房に話していたことをふと思い出した。
・・・まだ信じているのだろうか。
薄々は感づいているだろうに、何も言ってこないところをみると。
あるいは。
投稿者 6ww2sp | 返信 (0) | トラックバック (0)